”思い込み”と能力

私は高校が美術の専門クラスで、大学は文学部。一般的に言う「文系」です。

数字や数学は、小さい頃から苦手だと思ってきたし、そう言ってきたし、周りからの評価もそうでした。

ですが最近、少し、違うと思い始めています。


私が数字に苦手意識を持ったのは小学1年生のときです。

小学1年生が学習するのは「算数」です。1+1=2、のやつです。

覚えている最初のエピソードは次のようなものです。


算数の授業の中で、時々こんな時間がありました。

担任の先生が教卓の上に置いた紙にマジックで、児童には見えないように、例えば「5+8=」みたいに問題を書きます。そしてパッと児童に見せます。児童らは解った人から大きな声で答えを叫びます。手を挙げて答えるのではなくて、早く叫んだもの勝ちの早答え合戦です。それが何問か繰り返されます。

この時、クラスには勉強・スポーツ万能のちょっとボーイッシュで元気な女の子がいて、大抵いちばん最初に答えるのはその女の子でした。仮に、T子ちゃん、としましょう。担任の先生はおばあちゃん先生で、その口癖は「みんなにT子の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい」でした。それくらい溺愛されている突出して優秀な子でした。

この算数の授業の早答え合戦では、私は最初のころ、ほとんどビリでした。考えている間に他のみんなが言い終わってしまうことが常。先生がパッと問題を出してから考えていては、まったく追いつかないんだな、と分かってからは、先生が問題を書いている手の動きをじっと見て何と書いているのかを先取りすることで、問題が出される前に計算を始める、という方法を採りました。それによって、時々は最初の何番目かに答えられるようになりました。


さて、これによって自覚されたことは、「私はどうやら周囲の子たちに比べて、数字の認識スピードが遅い」ということでした。みんなと同じ方法では全然追いつかない。何か別の手法を考えないとまともには付いていけない。

かなり幼い頃から、自分の考えや思想は他人に話すものでない=人には到底理解できないものなので話す必要性がない、と考えていた私は(すごい可愛くないですが…。)、このような考察と自覚を他の人に聞いたりして検証することはしませんでしたが、その考えが確からしいという自信だけは何故かありました。


小学校高学年に入って毎日のように行われる算数ドリルのテストでは、5分で10問にチャレンジする割り算がたった2問しか出来ない、という状態になりました。8問間違っているのではなくて、時間内で2問までしか進まないのです。こうなるといよいよ、数字の認識の遅さへの自覚は強化され、自分は算数は出来ない、数字が苦手、という強い”思い込み”が全身に根付いていくことになりました。


この思い込みはその後も続きます。中学校に入ってから、私は100点満点のテストで16点だか18点だかをとって、あまりに情けなくなって涙が出たのを覚えています。

数字は苦手、算数や数学は出来ない、という完全な思い込みに劣等感が上乗せされて中学校を卒業し、高校に入りました。


高校でも相変わらずテストでは50点台とか60点台とかなんとも微妙な点数で推移していましたが、ある時、「確率」の単元がメインの期末テストで、始めて100点満点をとりました。なぜかこの「確率」という考え方は、理解しやすかったのです。


そして、人生初のこの衝撃の100点満点以降、単純なもので、コロッと意識が変わりました。その後のテストでは、50点台とか60点台みたいな低い点数をとらなくなったのです。そこからたくさん勉強し始めたわけではなく、それまでも克服しようと勉強はしていたし、その度に「わからない…」が先行して挫折していました。でもこの瞬間は、ただただ単純に「出来るんじゃん!(イェーイ!)」という逆の思い込みが、嬉しさとともにこの長い数字苦手人生に上書きされただけでした。



…高校での数学に対するこの体験は、当時は「思い込みってこんな単純なもんなんだ、、」くらいにしか思いませんでしたが、

このような子どもの思い込みが強化されていくプロセスの"雑さ"と、それによって能力が制限されること、更には学校で学ぶ限られた狭い範囲の項目に対する自己評価や他者からの評価で、文系・理系などというこれまた雑な仕分けを本人も周囲も仕組みまでもが行なっていってしまうことに、今更ながら寒気がするわけです。


私は確かに物を描いたり作ったりするのが得意です。そして数字の認識は今も遅いです。

あたりまえのように進んでいた先が、いつのまにか文系というカテゴリでした。反対側と行き来する扉は、ほとんど設けられていませんでした。

ですが、私がワクワクするのは科学や数学(幾何学)的な着想です。芸術はいつも私の近くにあり生涯離れることがなさそうですが、実はそれそのもの(とくに情緒)には殆どワクワクしません。

手先では物をつくることや文章を書くことが得意、その根底では科学や幾何学っぽい着想がたまらなく好き、という具合です。私そのものは、文系でもなければ、理系でもありませんでした。



得意なことは決して好きなことイコールではなく、また少し人より苦労することが嫌いなこととイコールにもなりません。また、この得意・不得意、好き・嫌いが、実際に歩む自分の道ともイコールにはなりません。

それだから、それらをイコールで結んでしまった単純な評価や思い込みが、早い段階で能力を手放すことにもなるだろうと思うわけです。


私はいま、時々経理の仕事を受けたりしています。あれだけ算数が出来なかったのに。

でも、デザインの仕事もしています。

脳科学などの本がとても好きです。

小さい頃の私への評価では、どの大人も、とても考えられなかった未来だと思います。



※ここではあくまで一般的なステレオタイプの「文系」「理系」という区分を扱いました。芸術と科学や数学は別物ではありません。そのへんは、またいつか。

11回の閲覧

COPYRIGHT©Kien Inc. All Rights Reserved.

Tel: 03-6260-9176 | Mail: info@kien.co.jp